人見知りの私が社長になるまで 第十六話

Nから通帳と実印の奪還に見事成功
Nが去り、コミュニケーションラインに
平和が訪れると思いきや・・・
今までNの存在で隠れていた、
トラブルメーカーが6名の中から出現
壮絶な戦いの末、意外な人物からの
サポートを受け遂に山本は社長になるのであった・・

Nさんが去り、一番喜んでいたのはGさんでした。
なぜなら、Gさんは私以上にNさんを憎んでいたからです。

Nさんは事あるごとにGさんに辛く当たっていました。

どんなに辛く当たっていたのか?
例えば、事務所移転で起きた出来事です。
Nさんの強引な勧めで事務所を移転したのですが、当然お金がないので、
業者を使わず自分たちで引越し作業をしました。

その作業中、GさんはNさんの許可を取らず、別に取る必要はないのですが、
小休憩を取り、S事務員と世間話をしていました。

その場面を目撃したNさんが、気に食わなかったらしく、
Gさんの胸ぐらを掴みながら「おまえ、なに、Sといちゃついとんねん!」
と激しく罵倒しました。

必死でGさんは謝っていましたが、Nさんの興奮は冷めることなく、その日は、
何度もGさんを執拗に責め続けていました。

私もNさんに罵倒された事がありますから、Gさんの気持ちはわかります。
Gさんは、私に次ぐ売上をあげていました。
Nさんが嫌で辞めようにも、辞めたら間違いなくコミッションは
1円も入ってこなくなります。
今までの苦労が水の泡です。

だから、Nさんからどんなに理不尽な事をされたとしても、
私もそうだったのですが、Gさんも我慢するしかなかったと思います。

私はNさんより3歳下でしたから、ある程度は年上だから仕方がないと思えたのですが、
GさんはNさんと同じ年です。なので、GさんのNさんに対する憎しみは私以上だったと
思います。

しかし、Gさんを一番頼っていたのはNさんでした。

当時、創業メンバー7名で結婚していたのはGさんだけで、
私を含め6名は、独身で定職にもつかずフラフラしていたような人間でしたから、
全く蓄えがありません。

Gさんは家庭もあり堅実に貯蓄もしていたようなので、Nさんが物入りのときは、
「Gちゃ~ん」と、都合よく頼られていました。

Nさんが勝手に決めた事務所移転ですが、必要な移転費用を出したのは、
Gさんでした。
Gさんは争いごとが嫌いで、波風が立つくらいなら、自分が我慢すれば
というタイプでした。

Nさんが去ったときGさんが言いました。
「これで、ようやく平和が訪れる」と。

しかし、Gさんの希望していた平和は、訪れませんでした。

ある意味、Nさんがフタになっていて抑えられていた問題が、
Nさんが去ることで、噴出したからです。

その問題とは、最年長のKさんです。

コミュニケーションラインは2名代表制を取っていましたから
KさんとNさんが社長でした。そのNさんが去った後、社長はKさんだけとなり、
残った6名のトップは自動的にKさんです。

Kさんは元社会人野球出身者で、小さいころから野球一筋、
バリバリの体育会系の人でした。
飲みに行くと、体育会らしく最年長者ということで、
いつも全員分全額おごってくれました。ただし借金です。

体育会系であることは問題ないのですが、とっても器が小さい人でした。
例えるならば、お猪口(オチョコ)位の大きさです。
その器の小ささがトップとしては大きな問題でした。

例えば、私をはじめ残りの5名の意見に対し、
Kさんは常にNOを出しました。

新しい工事会社と取引したいと相談すると、NO
OA機器も販売出来るようにしたいと相談すると、NO
とにかく何を言っても、答えはNOでした。

なので、Kさんには黙って事を進めることにしました。
しかし、Kさんに後でバレてしまうと「おまえ何で俺に黙っていた!」と
野球で鍛えたごっつい体から放たれる暴力をチラつかせ凄まれます。

特に私に対しては、「お金を貸してくれなかった」という逆恨みがあるのか
Kさんは事あるごとに「山本は、自分さえ良ければいいと思っている人間」
「俺が困っているとき助けてくれなかった」「あんなにおごってやったのに」
と器の小さい発言を繰り返しました。

あと、Kさんは、よく八つ当たりをしました。
例えばこんな事がありました。
Kさんは実家のある広島に遠征営業をしました。都市部で営業するより、
地方の方が営業し易いからです。Kさんの思惑どおりよく売れたのですが、
ただ工事会社が約束どおりの工事をせず、キャンセルが続出しました。

原因は、Kさんが工事会社の調整を怠り、見切り発車で遠征をしたからです。
しかし、その責任は、私をはじめ5名にあると、はげしく怒りました。

我々に怒っても仕方ありません。
文句があるなら工事会社に言えばいいのですが、工事会社には言いませんでした。

ちょっとでも、トラブルめいたことがあると、「何やってるんだ!」と
八つ当たりされました。
Kさんの悪口が続きますが、極めつけはKさんは全く決断しませんでした。

会社として決めなければならないことがあったときは、
Kさんから決まって私に「山本はどうする?」と尋ねられました。

「Kさんはどうしたいのですか?」と何度尋ね返しても、
「山本が決めたらいい」と返されます。

堂々巡りなので、最終的には私が決めます。
でも、それで結果がうまくいかなければ、「山本が決めたから責任を取れ」
とKさんは詰め寄ります。

そんなこんなで、とにかくKさんはトップとしては失格でした。

そして、ある日、Gさんと一緒にいる時、Gさんの携帯にKさんから電話がありました。
例の工事会社の件で、Gさんを激しく責めていたようです。
Gさんは電話が終わると、「またか。俺に言われても困る」
と言いながらウンザリした表情をしていました。
続けてGさんは「Kさんには社長を辞めてもらおう。ヤマモッチが社長したら」
と言いました。

遂に社長になれるチャンスが到来!と思われたかもしれませんが、
実を言うと私はこのコミュニケーションラインでは、
社長になりたくありませんでした。

なぜか?この状況で社長になると、あまりにリスクが高すぎるからです。
設立からNが去るまでは、会社の実印はずっとNが持っていました。
Nが、私の知らないところで、どんな契約をしていたかわかりません。
もしかしたら、会社を利用して莫大な借金をしていたかもしれません。
どこでどんな約束や取引していたか不明なのです。

あと、Nが別の会社から連れて来たフルコミッションの営業マンが、
まだ残っており、クレームだらけの悪質な営業をしていました。

最終的には会社の責任は、社長の責任です。
へたに社長になったら、借金を背負うかもしれないですし、
Nが連れて来た営業マンのせいで、悪徳営業会社の社長として、
世間の注目を集めるかもしれません。

社長になるより、このまま営業マンとして営業に集中して稼いだ
ほうが気楽ですし、リスクも少ないのです。

という訳で、Gさんの「ヤマモッチが社長をしたら」という言葉も、
聞こえないふりをして、やり過ごしました。

しかし、このままKさんが社長でも、コミュニケーションラインが
バラバラになるのも時間の問題です。

念願の社長になれるチャンスは目前です。
おそらく「私がやる!」と決めれば、KさんとKさんの飲み仲間のIさんは反対しますが、
私とGさんを含めた4人は賛成しますから、多数決で勝ちます。

ただ社長になっても、前任者のNさんとKさんが散らかした会社ですから、
前途多難です。

設立から4ヶ月経っても、税務署の届けもしていなく、帳簿も付けておらず、
源泉の納付もしていない、お客さんからのクレームも日々続出、
何から手を付けたらいいかも、わからない有様の会社です。

でも、誰かが社長をしない限り、Kさんを解任することは出来ません。

三日間考え抜いた結果、私は社長になると決めました。
隠れていた会社の借金が出てきたり、
深刻なクレームが発生しお客さんから
損害賠償請求されることも覚悟の上でした。

何で覚悟が出来たのか?きっかけは何だったのか?
どんな思考の経過があって社長になると決断出来たのか?

思い出そうと当時の記憶を辿りましたが、もう10年以上前ですから
忘れました。

社長になると決めたことをGさんに言いました。
Gさんは言うまでもなく賛成し、I君とM君も賛成してくれました。
株式は6名で均等割していましたから、Kさんが拒んでも株主総会をすれば、
多数決でKさんを解任し、私を新社長に就任させることが出来ます。

法的には株主総会を開いて多数決でKさんを解任すればいいのですが、
理想を言えば株主総会なんかでなくKさんと話し合って、
自らの意思でやめてもらうほうがいいに違いありません。

仮にも、今まで一緒に頑張ってきた仲間です。
株主総会で一方的に議決を取って、辞めさせるというのは、あまりに冷酷です。

でも、現実は冷酷です。ドラマなら話し合うかもしれませんが、
誰もKさんと話し合いはしたくありませんでした。

よって、株主総会を開くことにしました。
株主総会を開くには、株主全員に総会の五日前に召集をかけなければ、
法的効力はありません。
Kさんには、電話で伝えることになりました。

Gさん、I君、M君は、Kさんに電話するのを嫌がったので、
私も嫌ですが、Kさんに電話しました。

山本「○月○日○時、株主総会を開くんで来て貰えますか?」
K 「なんやそれ?内容はなんや?」
山本「内容は電話では言えません。とにかく株主総会に来てください。」
K 「俺を罠にはめようとしてるな!よーし、わかった。今から山本
○公園まで来い。殴り合いで決着つけようぜ。もし来なかったら
   今度会ったとき、○○○、△×□、夜道は気をつけて歩けよ、ガチャッ」

とても文章では書けない言葉をあびせられ一方的に切られてしまいました。

もしかしたら、お読みのあなたは、大の大人がそんな事言うわけない。
大袈裟に書いているだけと思われたかもしれませんが、全て事実です。
当時の記憶を辿りながら忠実に書いています。

Kさんには、あらためて手紙で株主総会の通知をしました。
法的に召集の証拠を残す為、書留で送りました。

そして、株主総会当日。
開始時間に揃ったのは、私、Gさん、I君、M君の4名です。
KさんとIさんは、まだでした。
開始時間を10分過ぎても、KさんとIさんは現れません。
たとえ二人が来なくても、参加の4名で過半数を超えているので、
株主総会は有効です。Kさんを解任し、山本を新社長に就任させる
ことは可能です。手続きに必要な会社の実印と通帳も、
Nさんに返してもらってからは、
銀行の貸金庫に保管していたので問題ありません。

しかし、株主総会の議決で終わるにしても、一応、Kさんには社長を解任した
と言うことを伝えなければ、なんとなく中途半端です。
言わない限り、Kさんは社長のままだと思っています。
株主総会は年末でした。
明日から正月休みというタイミングだったと思います。

コミュニケーションラインが始まってから、私もGさんもI君もM君も、
ずっと不安を抱えながら、我慢に我慢を重ねて、頑張ってきました。

4人の共通の思いとして、このゴタゴタは年内に片付けたい、
来年は新体制でスッキリとした形でスタートしたいという思いがありました。

しかし、Kさんに電話で社長解任を告げるのは、かなりのプレッシャーです。

誰も電話する様子がなかったので、私が電話しようと受話器を上げようとした瞬間、
意外な人物から待ったが入りました。

それはGさんでした。今まで、どちらかと言うと事なかれ主義で、
波風を立てることを嫌がっていたGさんです。
Gさんは、おもむろに受話器を持ち上げKさんに電話したのです。

Gさんは、いつもの口調と違い毅然とした口調で言いました。

「Kさんはトップとして失格であると4人で判断しました。
本日を持って社長を解任しますがご了承頂けますか?」

Kさんも、Gさんのいつもと違う雰囲気に圧倒されたのか全くの無抵抗でした。
それどころか「わかった、社長は辞めてもいいけど、今までのコミッションは払ってくれるのかな?」とお願いしてきました。
「今までのコミッションは当然お支払いしますので、社長は解任です。」
ということで、あっさりとGさんが片付けました。

そして、株主総会で、Kさんの社長解任の議決に、4名の手があがり、
山本の社長就任の議決に、Gさん、I君、M君の「異議なし」の手が
3本あがった瞬間、遂に私は社長になりました。

「人見知りの私が社長になるまで」これにて完結です。

次回から新シリーズ「人見知りの私が年商10億円社長になるまで」をお届けします。

遂に山本は社長になった
社長として山本は、まず何をしたのか?
NとKが去ったことで平和が訪れたのか?
山本が恐れていたNが残した○○が現れる
山本の覚悟を試すような出来事が
次々と勃発するのであった・・・

新シリーズに続く

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