人見知りの私が社長になるまで 第六話
これまでのお話
訪問販売業界で伝説の人、鬼のY氏の下で営業の厳しさを痛感した山本。手元に残ったものは、年利26%の金利がついた、元金の減らない借金。しかし、再起を賭け飛び込んだ先で未来は拓かれていくのであった……
日払いのアルバイト生活。
昼夜逆転の肉体労働で疲れきった、鉛のように重い体。
夕方前に目を覚まし、出勤前にあわてて体に流し込むコンビニ弁当。
PM7:00、東大阪の長田駅集合。
アルバイト専用送迎バスに乗り込む。
そこからバスに揺られる事、約1時間。
人里離れた山奥にある佐川急便配送センター。
12時間という長時間の肉体労働。
次から次へと、コンベアーから迫りくる荷物。
「割れ物注意」「精密機械」「天地無用」
おかまいなしに、積み込むトラックへ放り投げる。
しかし、荷物はとめどもなく流れてくる。
途中で逃げ出したくても逃げられない。
なぜなら、今自分がいる、この場所がどこだかわからないから。
時計が一周した頃、ようやく勤務終了。
アルバイト一同一列に並び、順々に
「日当」と書いてある白い封筒を貰ってから、
バスに乗り込む。
疲れきった体を引きずりながら、自宅マンションに到着。
ふと、郵便受けを開けると、恋人からの手紙ではなく、サラ金からの返済予定表。
そんな、光の見えない、苦しい日々を2ヶ月ほど続けました。
しかし、ここから人生が大きく好転するバイオリズムに突入するとは思ってもいませんでした。
ある日の出来事です。
目を覚ましてからすぐ、弁当を買う為、いつものようにコンビニへ。
そこで、ふと手にした求人雑誌を見てみると
「月収100万可能、固定給50万から」という求人広告に目を奪われ、早速面接応募。
面接も無事クリアして採用となるが、前回の第五話で書いたとおり、実は求人内容とは
大きく違い、フルコミッション営業。
販売する商品は、NTTコミュニケーションズのアダプター(Nコムアダプターと以下略)です。
2000年当時は、まだマイラインが始まっていません。
日本テレコムやKDDI(新電電と以下略)を使いたい場合は、「0088」
「0077」の識別番号をダイヤルするか、自動的に識別番号を付与してくれるアダプターを取り付けるかという、どちらかを選ぶ必要がありました。
新電電各社は、アダプターを事業所へ無料で設置するという営業をしていました。
ですので、当時は、ほとんどの事業所にアダプターが付いているという状況です。
Nコムアダプターとは、自動的にNTTと新電電どちらか安い方を選択するという機能がありました。あと、新電電と通話料金が同額地域の場合、NTTを優先するという機能もありました。
しかし、割引前の通話料金で比較しますので、NTTと新電電は、ほとんどが同額地域。ですので、結果的には、大半の通話料金がNTTに流れるという、非常にNTTにとっては都合の良いアダプターです。
私は、通信業界経験者という事もあり
面接時に社長から、
Nコムアダプターの説明もして頂けました。
「こんなお客さんにメリットのない商品がなぜ売れるのだろう」と疑問が生まれました。
しかし、グラフを見ると大半の営業マンが、
月間400回線以上取っているという事実がありました。
社長は「うちの営業トークを見ればわかる」と得意げに言っていました。
入社までの数日間で、自分なりにどんなトークなのか想像してみました。
N社での経験で、かなり市場が荒れていることはわかっていました。
「安くなります」という言葉だけでは、お客様は飽きていて、なかなか聞く耳も持ってくれない。
しかも、Nコムアダプターは通話料金が安くもならない。
いろいろ考えましたが、売れそうなトークは、とうとう思いつきませんでした。
そして、ついに入社初日がやってきました。
一体どんなトークで、営業マンは成果をあげているのだろう?
その疑問は、営業トークを見て一気に解決しました。
まさに
「コロンブスの卵」。
発想の転換をした、斬新なトークでした。
そのトークは、
料金の事は一ミリたりとも、説明しないトークです。
通信業界の常識では、全くありえないトークなのです。
だからこそ、400回線以上の営業マンを数多く輩出できたのでしょう。
そのトークの切り口とは…………..
ズバリ!! メンテナンスを切り口にした「メンテナンストーク」です。
NTTの信用度を、100%フル活用したトークです。
「今の新電電のアダプターのままでしたら、もし故障が発生した場合、NTTでは修理対応できません。NTTで修理対応できるようにNコムアダプターに交換しませんか?もちろん今お使いの新電電は、今までどおりお使いいただけます。」というトークです。
このトークの凄まじさは、実際の営業現場で如何なく発揮しました。
このトークを聞いた受付は、
慌てて担当者を呼びにいき、担当者は、
まるで夢遊病者の様に「NTTだったら安心」と、社印を押してくれました。
トークの話はこれ位にして、入社後の話をします。
入社初日から、Nさん(後のコミュニケーションライン初代社長)が、私の教育係りとなり同行営業をはじめとして、いろいろ教えてくれました。
年齢は、私より2歳上で、役職は大阪支店長です。
毎月800回線前後取っており、大阪支店ではトップセールスです。
とにかく私は、徹底的にNさんを真似てみました。
Nさんの営業トークを録音し、通勤中に聞き続けました。
Nさんの生まれは兵庫県の山手の方で、独特の訛りがありましたが、それも真似しました。
その結果、入社初月で450回線獲得し、会社から新人賞として賞金を貰いました。
しかし、給与日に貰えるのは30万で、残りはアダプター設置完了してからですので
3ヶ月先です。まだまだ、生活は楽にはなりません。
そして、入社2ヶ月ほど経過したある日の事です。
Nさんが営業マンを何人か招集して、ご飯を食べに行きました。
場所は、会社近くの中華料理屋です。
みんなが食べ終わった頃を見計らったかのように
Nさんは「みんなに大事な話がある」と言ったのです。
「一体なんの話だろう」と営業マン全員、固唾を飲んでNさんの次の言葉が出てくるのを待ちました。
「実は、社長と話をしていて、2次代理店としてやっていく事にきまった。なので、みんなに力を貸して欲しい」と言ったのです。
わかりやすく言うと、みんなで会社を共同出資して作って、今の会社の傘下代理店として
営業をやっていく。当然、今よりインセンティブは良くなる。という事です。
社長自身、社員を雇って長く経営する気はなく「儲けれる時にだけ、人がいればいい」という考えの様で、こだわりがなかったのでNさんの話に乗ったようです。
あと、「対外的には、Nさんが一応社長をやるが、今回集まったメンバー全員が社長の様なものであり共同経営で、自分が上げた利益は全部自分のもので、経費は折半する」というのが、Nさんの方針でした。
これを聞いた私は、最初はとまどいましたが即座にNさんの提案に乗ると決めました。
残りのメンバーも、全員Nさんの提案に乗りました。
なぜなら、Nさんは非常に人望が厚かったからです。
「Nさんなら、大丈夫」とみんな思ったようです。
Nさんは、ほとんど毎日、昼休憩に全営業マンに電話していました。
午前中取れなくて落ち込んでいるときには、「昼からは、いい波がくるから大丈夫」と、その言葉を聞いて、肩の力がスッと抜けて、昼から調子がよくなった、という事も何度もありました。
あと、成績が悪くクビになりかけた営業マンを、身を挺してかばう事もありました。
だからこそ、「Nさんについていけば、大丈夫」とみんな思ったのです。
Nさんの提案に乗ったのは、私と、最年長のKさん、「ラーメン大好き小池さん」そっくりのIさん、唯一の既婚者Gさん、レーサーのI君、最年少のM君。計7名が集まりました。
全員で、いくらかお金を出しあって会社の出資金に回しました。
事務所は、私の知り合いから間借りさせてもらう事になりました。
会社を登記する為、社名を決める事になりました。
NTTコミュニケーションズに勘違いされる社名が一番いいのではないかということで、全員一致でこう決まりました。
「コミュニケーションライン有限会社」
すごく安易な決め方だったなと思います。
2000年8月1日に登記完了し、
「コミュニケーションライン」が、遂に誕生。
社長は、Nさんです。
残りの6名は、取締役で何事も7名で相談して決めるというのが、Nさんの作ったルールした。
しかし、そのルールをことごとく破る人が出てきました。
ルールを決めた張本人が、真っ先に破るのです、、、
ここでまた、人が豹変するのを見てしまう事になる山本。
そして、共同経営のよくある失敗パターンに嵌る事になっていく。
一体、ここからどうやって山本が社長になったのか…………。
次号に続く
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