人見知りの私が社長になるまで 第三話

前回からの続き

コンピューターのプログラマーとして平穏な日々を送っていた山本。2年ほど勤めた頃、ふつふつと独立への想いが沸いてきた。当時勤めていた社長とのひと悶着も乗り越え営業職に転進。新天地での営業の仕事で見つけた物とは一体なんだったのか、、、

私が入社した大手通信代理店N社(以下N社と略)での仕事内容は、法人へのKDD市外電話アダプター無料設置の申込みを頂く営業です。

当時は、まだマイラインは始まっていません。
NTT以外の電話会社を使うには、○○××4桁の識別番号をダイヤルするかもしくは市外電話アダプターを付ける必要がありました。

N社は典型的な体育会系の営業会社。
上司の命令は絶対服従。日々のノルマがクリア出来なければ、法人営業にもかかわらず夜9時までの、理不尽な飛込営業。

帰社時間は、毎日終電という状態なので、新人が10人入っても、残るのは2人程度でした。

新人が辞めていく最大の原因は、アポ前後の上司への電話報告でした。 私も、これが非常に辛かったのを今でも覚えています。

毎日10件程度のアポを営業マンは回ります。
一件一件、アポ前後に上司のTマネージャーに電話連絡。 「今から○○社入ります。」 「絶対取れよ!!」 契約取れた場合「○○回線GETしました」「山本よくやった。おまえはすごいなー・・」美散麗句のオンパレードで天国。

しかし、契約取れなかった場合は地獄。
「契約取れませんでした」「おまえ、何やってんの。せっかくのアポを無駄にしやがって・・・・」
とこっぴどく怒鳴られる。しかし、それだけで済めばラッキー。

一番営業マンが恐怖に感じていたのはこのパターン。
「断られた理由は何だ?」
「○○だと思います。」「じゃあー、次は○○と言えばいいから、もう一回行って来い」再訪問後   「またダメでした」「もう一回行って来い」と何度も何度も訪問させられる。

最高で、同じ所に10回訪問したこともありました。これが、かなり精神的にキツイ。
断っても断っても、何度もゾンビのように来るので、お客さんの方が、怖くなって契約してくれることも何度かありました。

しかし大抵、「しつこい、もう二度とくるなー!!」と激怒される事の方が多かったです。

これを、N社では「ゾンビ作戦」と呼んでいました。

あと、社長にアポが入っている場合で「社長が忙しくて、話きいてくれませんのでダメでした」「じゃあ、終わるまで待ち伏せしろ」と夜23時位まで、社長が仕事終わって出てくるのを待つこともよくありました。

その場合は、熱心さが伝わって契約とれる事が多かったです。これをN社では、「待ち伏せ作戦」と呼んでいました。

しかし、入社して2週間で、私の営業成績は最悪でした。 当時の私は、営業マンとしては、全く不向きという状態。

人見知りする。営業トークは何を言っているかわからない。飛び込み営業が怖くて、会社の前を2時間位ウロウロして、やっとの思いで飛び込む。

そんな状態なので、営業成績が良くないのも当然。毎日のように、営業が終わってから会社に戻ってロープレ。しかし、ロープレでもオドオドしていたので、上司から容赦のないダメだし。
「やっぱり、自分には営業は無理なのかな」と、辞める事も考えていました。

だけど、一人暮らしなので生活費を稼がないといけない。辞めてしまうと独立起業への第一歩が潰えてしまうので、何とか踏み止まっていました。

しかし、入社して3週間が過ぎようとしていたある日の出来事です。

一件目のアポが契約取れず、いつものようにTマネージャーに電話報告。
「すいません。ダメでした。」
また怒鳴られるかなー、と覚悟していたら
「今すぐ会社に戻って来い」

会社に戻ると、Tマネージャーが開口一番
「おまえは、営業向いていないと思う。お互いの為に辞めた方がいいと思うけどもどうする?」

その時、「このまま営業続けても、辛い毎日が続くし、このまま辞めれば楽になれるだろう」という悪魔のささやきが心の中に聞こえてきました。

しかし、口から出た言葉は

「こんなに早く判断しないでください。もうすこしで花が開きそうな予感がします」

と心の中の思いとは裏腹の言葉が自然に口から出てきました。

すると、Tマネージャーは
「営業会社やから、早く判断しないとあかんのや。じゃあ、あと一週間様子をみよう。ただし、アポはもう渡さないので、自己アポか飛び込みで20契約取れるかどうかで判断しよう」

「わかりました」

ということで、一週間の猶予を貰うことになりました。とにかく、この一週間出来る限りのことはしようと思い、まずは今までの営業を振り返ました。

N社の営業スタイルは「詳しい内容は、営業の者が説明します」というアポを、営業マンが説明説得して契約を貰うという、今思うと極めてオーソドックスな営業方法でした。

しかし、契約を貰ったお客様を思い出して見ると、そんなに説得せずして契約を貰っている事が多いことに気づきました。

「そうか、今すぐ契約する客だけにアポを入れれば 営業力のない自分でも高い成約率で行けそうだ」
この考えを基に、アポトークを作り早速実践してみました。

アポトークの中で、「申し込みに必要なゴム印と角印を用意してください」というフレーズを入れ、用意してくれる客だけを訪問するという方法です。
今のプラチナラインアポトークの原型です。

Tマネージャーからも、周りの営業マンからも、最初は非難轟轟でした。

「電話口で、ハンコを用意しろなんて、あまりに非常識すぎる」と。

しかし、結果は、アポ件数も契約数も周りのアポインターより多く、しかも成約率が90% 以上。

一週間の猶予も余裕でクリアー出来ました。

その後、元通りアポインターのアポを回ることになり、自分の担当アポインターにこのやり方を教えました。

その結果、全国で数百人いる営業マンの中で、全国3位の月間営業成績を達成。

まさに、「逆境が大きいほど、大きな利益の種子が隠されている」ということを 実感できた体験でした。

その後、独立起業のため、営業力を付けるという目標は達成できたので、3ヶ月の試用期間終了と同時に退社することにしました。

当時、ITバブルの前兆があり、独自ドメイン取得できるレンタルサーバーのニーズが法人を中心にすごく高まってきていました。

ちょうど、光通信が「ヒットメール」という当時では、格安で高性能のレンタルサーバー のサービスを提供しており、代理店も募集していました。

ビジネスチャンスと捉え代理店申し込み。独立起業の第一歩をスタートしたのです。

全国3位の営業成績で自信を持った私は、意気揚々と独立に向けての、順調な滑り出しを見せたかに思えました。

しかし、独立起業した者が、つい踏んでしまう地雷を見事に踏んでしまい、その後、約1年以上に及ぶ苦しい借金生活が始まるとは、、、

このときは全く、想像すら出来ませんでした。

次号に続く

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